Sweet Brissie life

ブリスベンでのサトウキビ博士研究生活の甘くない備忘録

見える...見えるぞ...!!会話の境界線が目の前に

 

チャーチコミュニティーの人たちとランチに行ったけど、オージーネイティブ空間でのランチがほぼ苦行だったという話(彼らはきっと良い人たちだけど)。

 

12人くらいはいただろうか。ロングテーブルにずらっと座り、両サイド5、6人ずつがそれとなくグループを成して会話に花を咲かせる。自分のいたサイドでは自分だけが全員に対して初めまして。軽く自己紹介して個別に話したりもするものの、やはりそのグループでのトピックがさらっと場を支配し、自分は聞き取りに苦労し会話の流れから外れ始める。

 

それでも時々話題を振ってくれるナイスガイ。だが他のオージーの方々との会話の流れに組み込むというより当たり障りのない質問を定期的に振ってくれるところにはナイスガイとしての義務感が漂う。ありがとう、ピッチャーゴロしか返せなくてごめんよ。

 

そもそも英語に限らず、グループでの会話は苦手に感じる。グループでの会話だと、会話をリードするやつ、同調して盛り上がるやつ、言葉数は少なく聞き役で参加してるやつ、みたいに自然と勾配がついてくるし、それが話題と共にある程度移り変わってバランスが取れる。ただ、話題が移っていく中でもただただ発言が減っていきしまいにはリアクションを空振るだけになっていく人もいる、通称空気。

 

慣れ親しんだグループでない限りは、自分はどうも空気になることが多い。

 

そういう状況下で感じるのは、よく発言する人たちの注意がどんどん自分に向かなくなり、自分も切り出したり返したりする話題や言葉が見つからなくなる。そうやってグループ会話の境界線がぼんやりとできあがっていく。その境界線を自分の目の前に自覚し始めるころにはその場から一刻も早く(でもそんな心境を表に出さない形で)去りたくなる。

 

仲の良い人たちとの会話ではそんなことは全くなく、むしろ延々とくだらない会話でも続くのに、不思議だ。これが気が合う、という得体のしれないものなのか。

 

ついこの前、会話の量は少なくとも要所要所でインパクトのある発言ができれば印象に残る、存在感を出せる、みたいなコミュ障向け動画を見た気がする。ごもっともです。ただしそのグループが既にお互い旧知の仲で、ローカルな話題で盛り上がる中では、文脈についていくのが厳しいし、オージー英語も相まって何話してるのかはっきり理解できない。そんな中で皆の注意を一手にひきつけて話し、オチをつけて鮮やかに着地する、というのはまじ離れ業。

 

オージーのグループだったからいけないのか?というと、そんなことは決してない。ほかの欧米系であっても、アジア系であっても、こういうシチュエーションは存在するし、何なら日本人のグループに対しても似た経験をたくさんしてきている。要するに、同質な多数に対して自分がただ一人異質で浮いてしまう、という状況なんだろう。その同質異質の境目が、言語であったり国籍であったり文化圏であったりする場合が単にわかりやすいだけで。特に英語ネイティブローカルグループとなると高確率で空気になるし、一方で留学生ごちゃまぜのインターナショナルグループだとスムーズに会話できることが多い。この点についてはSheffieldでの交換留学時と同じだ。

 

そんなわけで英語に関して、まだローカルグループでの会話に対して苦手意識を持っているのだけれど、この3年の間にこの苦手意識の英語由来の部分だけは解消されるレベルにまでもっていきたい。

 

...ただ、こんなこと考えずにお構いなしにベラベラしゃべる図太さこそ真に自分に足りないものかもしれない。