Sweet Brissie life

ブリスベンでのサトウキビ博士研究生活の甘くない備忘録

欧米組織だって忖度はある

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新しい、そして自分にとっては最後のフィールド実験が始まった。

 

プロジェクトのメインの目的に沿った処理区、前回以上に多くの測定項目、新しい装置の導入などなど、優先度の高い実験である。それらの意味するところは、資金的にも人員的にもより多くの資源が割かれているということ。にも関わらず準備期間はやや不十分であったこともあり、不確定要素も多く、チームのストレスもやや高めになっていた。

 

そんなフィールド実験なのでやはり摩擦があり、よってまたしても愚痴も多め。しかもごちゃごちゃと書いてから以前の記事を振り返ってみたらかなり被った反省で、繰り返してしまったのかといっそうもやもやしてる。でも、今度こそ自分のこのチームでの振る舞いの軸を定めるためにも一歩踏み込んでまとめておこう。

 

(フィールド実験そのもののことはほぼ書いてない) 

 

 

・何があったのか?

なんてことはない、フィールドワーク上の問題ではあったがそれらはきっかけに過ぎず、要は忖度しろと自分の勤務姿勢をたしなめられただけのこと。組織で働けば当然のこと。

 

自分からすれば作業確認と経過報告してきたのだが、指導教官の要求していた作業はそれでは不十分だったようで、その作業状況が明らかになったことで自分の勤務態度を非難し始めたこと。

自分からすれば計画案を提示し確認も何度も行ってきたことを、同意した覚えはないと現地で突然変更した上にそこに議論の余地を挟ませず、周りを信頼しなくてはチームでやっていけないと指摘したこと。

 

 

・双方の言い分

自分としては、どちらの口論にも相互の認識に齟齬があったことが問題であり、今後を考えるならコミュニケーションを改善すべきなのではと進言した。あるいは正直、今回はスケジュールが厳しいうえにこれまで以上の作業量であったために単純にキャパオーバーであったと考えていた。自分の準備不足も一部ありながら、それ以上に自分の提案・報告してきたことは、きちんと指導教官の頭に届いていなかったように見受けられた。そこまではさすがに言えなかったけど。

 

だが、指導教官からすればその結論は受け入れられず、自分の勤務態度を非難するばかりだった。

 

 "I'm not your baby sitter. You can challenge me but at the scientific level."

"It's not my study anymore. It's my job already."

"You gotta trust us."

質問をするなら、疑ってかかるなら、科学的なレベルでモノを言え、と。そのレベルでないものにいちいち対応してられないし、信頼しないとチームでの仕事はやっていけない、と。

 

今回指導教官が不満をあらわにしたきっかけの争点に関しては、自分側の知識や提示した証拠が不十分だったかもしれない。それでも、これまで意見するときには基本的に根拠とセットにしてきたはず。信じろと言われても、指導教官も疑わざるを得ないような指示やデザインや実施をしてきている。今回の実験だけでも、自分が疑わなければデザインには反復がなく、施肥は農家のそれとかけはなれ、肝心の測定装置のサンプリングでさえ滅茶苦茶になっていたというのに。

 

こんなにごちゃごちゃ疑ってくる学生いないし、普通は指導教官は学生につべこべ言わせずにあれやれこれやれと指示するだけだ、とも言われた(これは実際そうだろうし、現指導教官は意見の機会をそれなりに設けてくれていたのも事実)。上下関係なんで嫌いだ、と言いつつも、結局は部下らしくない自分の振る舞いに辟易しているんだろう。一見きれいなことを言っているようだけれど、もう自分の口ごたえに付き合ってられないという悲痛な叫びだったのだ、と解釈している。

 

...少し脇道にそれるが、今回の摩擦はタスクの重要性やその成否が指導教官に与える影響の大きさを示しているようでもあった。タスクは新しく導入する装置に関するもので、その成否はこのプロジェクトだけでなくチームの成果に直結し、またそれはさらに過去に装置や技術を輸出しているチームの新商品でもあるわけだ。チームのテクニシャンもそれにかなり労力を割いていたし、ボスも直接指示を出していたと思われるから、その分のプレッシャーがあったのだろう。さらに指導教官の家庭状況が仕事も圧迫しているのは理解できる。だからといって、建設的に議論しなければならないなどと言いながら、自分個人を不満のはけ口にするのは認めないけど。それらは転じて、彼らの組織への依存性にも受け取れて、その下にいる自分は少し焦りを感じるのだった。

 

  

 

・学んだことは何か 

言われたことの数々に、言葉通りの納得はできない。責任感が足りないとか、自分の主張が科学的でないとか(不足は認める)、周囲を信じるべきだ、とか。

 

ただ今回指導教官が示したことではっきり理解したのは、このままの姿勢を貫いていても、指導教官やチームの協力が得られにくくなり、自分の首を絞めることになること。見ている感じフィールドワークでのチーム内で摩擦の中心が自分だという印象なのは否定しきれない。摩擦の生まれる人間は去っていってるだけかもしれないが...いずれにせよ自分もこのままだと続行不可能になってしまうかもしれない。

   

欧米諸国は議論を好むしアカデミアでは科学的根拠が優先されるとは言われる。それでも上下関係というものは存在し、時間や資源の限られた状況下での意思決定は議論しつくしたうえでの正論に基づくとは限らないのだ。日本的なタテ社会というか、上意下達的な側面も当然存在するのだ。もちろん、比較的フラットで意見の余地はあると今でも思っているけれども。

 

その権力構造に組み込まれる限り、この指導教官という一人の人間を、丁重に扱わねばならないのだ。相手の望むことを察して、言われずともやってあげるようでなくては気に入られないのだ。感情抜きに論理を押し通すだけでは受け入れられないのだ。正論に共にたどり着く余裕がいつもあるわけではないのだから。齟齬があったときに自分の正当化にその場では成功しても、以後に残るのは自分のささやかな優越感と相手の不愉快感で、それらは自分にとってかえって不利益をもたらしやすい。

 

すごく卑屈でひねくれた教訓のように見えるけれど、そもそも相手の主張の目的は正論を求めることでなくチームワークのスムーズさだったのだから、自分が表面的にそれを受け入れることが双方の利益となる解決策なのだ。これもソフトスキルなんだろう、それも初歩的な。全くもって遅すぎる学習だろうよ。それこそ相手の言うように子供じみていて嫌気がさす。

 

 

・これからの振る舞いをどうするか?

納得できないからと言って、これまで同様に”口ごたえ”し続けていれば、権力構造上自分が不利益を被るのは目に見えている。だからと言って、言われるままに信じ切ったりイエスマンになるようでは、望まない結果に陥るのも避けられないだろう。チームの中で衝突しながら自分の意見を押し通すのは無理があり、自分の意見にチームから協力してもらう方が当然ながら効率が良い。それは抽象的には、相手がコントロールしているように思わせながら、最終的には自分が行きたい方向に持っていくことだ。

 

...というようなことを以前にも反省していたのに、結局より悪化した事態に直面し同じような結論に至っていてとても残念である。

 

具体的にはどうすればよいのか。たたき台を用意して、相手に突っ込ませてまずは一切反論せずに受け入れて引き下がる。反射的に言い返したくなることが多いが、相手が一通り言い切るまではこらえる。その後で、一層の根拠を揃えて自分の意見に誘導する。でも、意見が割れたままだったら?その都度、自分の意見の重要性と主張することによる摩擦を天秤にかけることになるんだろう。多分、覆すチャンスは1回。本当に引き下がれないところでは2回やってもいいかもしれない。それ以上は急激に不快感が増し拒絶反応となって議論自体成り立たないし、他に悪影響が及ぶから避けるべき。...少なくとも、こうした意識がこれまで以上に証拠を収集したり結末を読むことにつながり、自分の発言の重みを増すことにはつながるだろう。

 

 

はぁ、なんとつまらない行動規範なんだ。こんなこと逐一考えていたら精神衛生上良くないし、そもそも考えずに済むような環境を目指していたはずなのに。今の場所でできる限り力と実績を蓄えて、飛び立たなくては。